今朝の放送内容 8月30日(火)
2022年8月30日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●道内感染者3666人 全国9万6千人
●「全数把握」見直し 宮城など4県が先行実施へ
●消費者庁 霊感商法に関する対策検討会を初開催
●北電 燃料費調整上限を撤廃
●蘭島海水浴場沖合の海底で男性発見
●南富良野前町長に有罪判決
●小樽市の倉庫で火事 木製パレット燃える
●福島・双葉町の避難指示解除
●NASAの月探査ロケット 打ち上げ延期
●来年の秋の高校野球全道大会 札幌ドームで開催
●きのうの大リーグ エンゼルス大谷選手が28号2ラン
レッドソックス沢村投手が事実上の戦力外通告
●きのうのプロ野球結果 SBがロッテに3-2で競り勝つ
●男子ゴルフ米ツアー選手権 松山英樹選手は11位
●サッカーU-20女子W杯決勝 日本がスペインに1-3で敗れ連覇ならず
●来月初日の大相撲秋場所番付発表 一山本は東前頭13枚目
●バスケ渡辺雄太選手がNBAネッツと契約
●ファイターズ 全球団負け越し危機
●レバンガ マーフィー選手・モータム選手が入団会見「強さ見せる」
●「全数把握」見直し 宮城など4県が先行実施へ
●消費者庁 霊感商法に関する対策検討会を初開催
●北電 燃料費調整上限を撤廃
●蘭島海水浴場沖合の海底で男性発見
●南富良野前町長に有罪判決
●小樽市の倉庫で火事 木製パレット燃える
●福島・双葉町の避難指示解除
●NASAの月探査ロケット 打ち上げ延期
●来年の秋の高校野球全道大会 札幌ドームで開催
●きのうの大リーグ エンゼルス大谷選手が28号2ラン
レッドソックス沢村投手が事実上の戦力外通告
●きのうのプロ野球結果 SBがロッテに3-2で競り勝つ
●男子ゴルフ米ツアー選手権 松山英樹選手は11位
●サッカーU-20女子W杯決勝 日本がスペインに1-3で敗れ連覇ならず
●来月初日の大相撲秋場所番付発表 一山本は東前頭13枚目
●バスケ渡辺雄太選手がNBAネッツと契約
●ファイターズ 全球団負け越し危機
●レバンガ マーフィー選手・モータム選手が入団会見「強さ見せる」
今朝の選曲
【6時台】
M「少年時代/井上陽水」
【7時台】
M「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー/アリシア・キーズ」
M「少年時代/井上陽水」
【7時台】
M「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー/アリシア・キーズ」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 ノーヒットノーランアラカルト 」
8月27日(土)札幌ドームで行なわれた
北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークスの試合。
ファイターズ先発コディ・ポンセ選手がプロ野球史上87人目のノーヒットノーランを達成!
球場中が歓喜の渦となりました。
日本ハムでは1995年の西崎幸広さん以来27年ぶり達成。
2004年に北海道に移転した現在の「北海道日本ハムファイターズ」の歴史上初めての快挙となります。
ノーヒットノーランにはどんな歴史・記録が日本プロ野球界にあるのかといいますと
パーフェクトゲーム完全試合とノーヒットノーランの違いから。
完全試合が「野球やソフトボールの試合で、先発投手が相手チームの打者を
一度も出塁させずに勝利すること」
一方、ノーヒットノーランは「先発投手が相手チームを無安打無得点に抑えて勝つこと」を指します。
ノーヒットノーランはヒットも得点も許さないで1試合投げ抜くこと。
完全試合はその他、四死球、エラーも無いことが条件ですが
いずれもそうめったに達成される記録ではありません。
日本で初めてノーヒットノーランを達成した投手は1936年9月25日、
当時巨人の沢村栄治さんが甲子園球場の阪神戦で達成。
沢村さんは翌1937年と1940年に合わせて3度のノーヒットノーランを達成。
さすがはその年の投手最高賞「沢村賞」のもととなった伝説の投手です。
その沢村さんに並んでノーヒットノーラン3度を記録しているのが、元カープの外木場 義郎さん。
ルーキーだった1965年10月2日、膝を痛めた大羽進さんに代わり急遽登板。
プロ2度目の先発となったこの阪神戦で、憧れの村山実さんと投げ合って
僅か1四球のノーヒットノーランでプロ初勝利を飾ります。
新人選手のノーヒットノーランは史上3人目でしたが、
初勝利と同時の記録は史上初めてという快挙でした。
そして、1968年9月14日の大洋戦では2回目のノーヒットノーランを完全試合で達成。
この試合ではリーグタイ記録となる16奪三振も記録しています。
1972年4月29日の巨人戦では史上2人目となる3回目のノーヒットノーランを達成。
プロ野球史上、3度のノーヒットノーランを達成したのは
沢村栄治さんと外木場さんの二人のみで、2リーグ制以降の投手としては唯一の達成者となりました。
では、今回のポンセ投手のように外国人投手の達成というのは87人のうち何人いたのでしょうか。
外国人投手初のノーヒットノーランは1965年当時阪神のバッキ—投手。
甲子園球場の巨人戦で達成しています。
その後、5人のノーヒットノーラン外国人の達成を経て
2006年ヤクルトのガトームソン投手が達成して以来ポンセ選手で7人目。
そのうちパ・リーグでは85年当時西武の郭泰源投手、
2000年当時近鉄のエルビラ投手に次ぎ3人目です。
今年はポンセ選手で5人目というノーヒットノーランの記録ですが、
同じく5人のノーヒットノーラン投手が誕生した年が82年前、
1940年(昭和15年)のシーズンです。
日本にプロ野球ができて5年目のシーズンでした。
この年は5人のノーヒットノーラン達成者が誕生し、
さらにあと1人でノーヒットノーランを逃した投手も2人いたという異様な年でした。
ただし、それにはいくつか理由があります。
当時は質の悪いボールの影響で打球が飛びにくく極端な投高打低という時代。
リーグ全体の防御率は優勝した巨人のチーム防御率1.56を筆頭に平均で2.12。
個人別では翼軍の野口二郎投手が0.93、巨人の須田博投手(この方は旭川スタルヒン球場でおなじみ、
旧制旭川中学校、現在の旭川東高校出身のスタルヒンさん)が
0.97と防御率0点台の2投手を代表に好投手が活躍。
一方でリーグ全体の打率は.206で最高でも巨人の.237。
イーグルスの亀田忠投手、阪急の石田光彦投手の2人にノーヒットノーランを許したライオン軍は
リーグ最低の打率.187という時代でした。
なお翌1941年も3人がノーヒットノーランを達成。草創期は投手に比べ、
打者の技術が未熟だったというのも理由ですが、
この頃は投手の詳細なデータや動画もなく、球の速い投手自体も希少な存在。
更にこの時代の内野は全て土のグランドで、
ゴロの打球は失速するので余計打者が不利という状況だったというのも大きな理由です。
しかし、そんな状況とは一変し打者のレベルも飛躍的に上がった現代で起きた
ノーヒットノーラン達成投手5人が誕生したというこの年、その恩恵とも呼べる記録も生まれました。
実は札幌ドームでのノーヒットノーランは今年2度目。
1度目は・・6月7日北海道日本ハムファイターズ対横浜DeNAベイスターズで、
ベイスターズ今永投手がファイターズ打線を相手にノーヒットノーランを達成していて、
今年ポンセ選手で2回目ですが、過去にも1度だけ、同一球場で年間2回達成ということはありました。
それが、1995年9月9日、ヤクルト・テリーブロス投手が東京ドームでの巨人戦で達成。
ちなみにこの年はもう1人、8月26日に奥尻町出身、佐藤義則投手が藤井寺球場での近鉄戦で
ノーヒットノーランを達成しています。
そして、もう一人は当時ファイターズの西崎幸広投手が東京ドームでの西武戦で達成しています。
ということで、同じ年に同じ球場でノーヒットノーランは史上2例目です。
ノーヒットノーラン、年に5人達成という奇跡の年。
今年のプロ野球ペナントレースもあと1か月。
まだ、奇跡はあるかもしれません。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 ノーヒットノーランアラカルト 」
8月27日(土)札幌ドームで行なわれた
北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークスの試合。
ファイターズ先発コディ・ポンセ選手がプロ野球史上87人目のノーヒットノーランを達成!
球場中が歓喜の渦となりました。
日本ハムでは1995年の西崎幸広さん以来27年ぶり達成。
2004年に北海道に移転した現在の「北海道日本ハムファイターズ」の歴史上初めての快挙となります。
ノーヒットノーランにはどんな歴史・記録が日本プロ野球界にあるのかといいますと
パーフェクトゲーム完全試合とノーヒットノーランの違いから。
完全試合が「野球やソフトボールの試合で、先発投手が相手チームの打者を
一度も出塁させずに勝利すること」
一方、ノーヒットノーランは「先発投手が相手チームを無安打無得点に抑えて勝つこと」を指します。
ノーヒットノーランはヒットも得点も許さないで1試合投げ抜くこと。
完全試合はその他、四死球、エラーも無いことが条件ですが
いずれもそうめったに達成される記録ではありません。
日本で初めてノーヒットノーランを達成した投手は1936年9月25日、
当時巨人の沢村栄治さんが甲子園球場の阪神戦で達成。
沢村さんは翌1937年と1940年に合わせて3度のノーヒットノーランを達成。
さすがはその年の投手最高賞「沢村賞」のもととなった伝説の投手です。
その沢村さんに並んでノーヒットノーラン3度を記録しているのが、元カープの外木場 義郎さん。
ルーキーだった1965年10月2日、膝を痛めた大羽進さんに代わり急遽登板。
プロ2度目の先発となったこの阪神戦で、憧れの村山実さんと投げ合って
僅か1四球のノーヒットノーランでプロ初勝利を飾ります。
新人選手のノーヒットノーランは史上3人目でしたが、
初勝利と同時の記録は史上初めてという快挙でした。
そして、1968年9月14日の大洋戦では2回目のノーヒットノーランを完全試合で達成。
この試合ではリーグタイ記録となる16奪三振も記録しています。
1972年4月29日の巨人戦では史上2人目となる3回目のノーヒットノーランを達成。
プロ野球史上、3度のノーヒットノーランを達成したのは
沢村栄治さんと外木場さんの二人のみで、2リーグ制以降の投手としては唯一の達成者となりました。
では、今回のポンセ投手のように外国人投手の達成というのは87人のうち何人いたのでしょうか。
外国人投手初のノーヒットノーランは1965年当時阪神のバッキ—投手。
甲子園球場の巨人戦で達成しています。
その後、5人のノーヒットノーラン外国人の達成を経て
2006年ヤクルトのガトームソン投手が達成して以来ポンセ選手で7人目。
そのうちパ・リーグでは85年当時西武の郭泰源投手、
2000年当時近鉄のエルビラ投手に次ぎ3人目です。
今年はポンセ選手で5人目というノーヒットノーランの記録ですが、
同じく5人のノーヒットノーラン投手が誕生した年が82年前、
1940年(昭和15年)のシーズンです。
日本にプロ野球ができて5年目のシーズンでした。
この年は5人のノーヒットノーラン達成者が誕生し、
さらにあと1人でノーヒットノーランを逃した投手も2人いたという異様な年でした。
ただし、それにはいくつか理由があります。
当時は質の悪いボールの影響で打球が飛びにくく極端な投高打低という時代。
リーグ全体の防御率は優勝した巨人のチーム防御率1.56を筆頭に平均で2.12。
個人別では翼軍の野口二郎投手が0.93、巨人の須田博投手(この方は旭川スタルヒン球場でおなじみ、
旧制旭川中学校、現在の旭川東高校出身のスタルヒンさん)が
0.97と防御率0点台の2投手を代表に好投手が活躍。
一方でリーグ全体の打率は.206で最高でも巨人の.237。
イーグルスの亀田忠投手、阪急の石田光彦投手の2人にノーヒットノーランを許したライオン軍は
リーグ最低の打率.187という時代でした。
なお翌1941年も3人がノーヒットノーランを達成。草創期は投手に比べ、
打者の技術が未熟だったというのも理由ですが、
この頃は投手の詳細なデータや動画もなく、球の速い投手自体も希少な存在。
更にこの時代の内野は全て土のグランドで、
ゴロの打球は失速するので余計打者が不利という状況だったというのも大きな理由です。
しかし、そんな状況とは一変し打者のレベルも飛躍的に上がった現代で起きた
ノーヒットノーラン達成投手5人が誕生したというこの年、その恩恵とも呼べる記録も生まれました。
実は札幌ドームでのノーヒットノーランは今年2度目。
1度目は・・6月7日北海道日本ハムファイターズ対横浜DeNAベイスターズで、
ベイスターズ今永投手がファイターズ打線を相手にノーヒットノーランを達成していて、
今年ポンセ選手で2回目ですが、過去にも1度だけ、同一球場で年間2回達成ということはありました。
それが、1995年9月9日、ヤクルト・テリーブロス投手が東京ドームでの巨人戦で達成。
ちなみにこの年はもう1人、8月26日に奥尻町出身、佐藤義則投手が藤井寺球場での近鉄戦で
ノーヒットノーランを達成しています。
そして、もう一人は当時ファイターズの西崎幸広投手が東京ドームでの西武戦で達成しています。
ということで、同じ年に同じ球場でノーヒットノーランは史上2例目です。
ノーヒットノーラン、年に5人達成という奇跡の年。
今年のプロ野球ペナントレースもあと1か月。
まだ、奇跡はあるかもしれません。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!