今朝の放送内容 6月20日(火)
2023年6月20日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●トラック所有の会社を家宅捜索 高速バスと衝突、5人死亡事故で 八雲町
●自衛官候補生の実家を自衛隊が家宅捜索へ 自動小銃発射3人死傷
●習主席とブリンケン国務長官が面会 「常にお互いに尊敬と誠意を」
●衛星打ち上げ失敗「最も重大な欠陥」初めて国内に認める 北朝鮮重要会議
●旧優生保護法問題の調査報告書 衆参両院の議長に提出態
●「ドリフトダイビング」中に行方不明の7人、全員救助 沖縄・糸満市沖
●自転車の男子高校生と路線バスが交差点で衝突 札幌市西区
●JR学園都市線の線路から煙 一時運転見合わせで約1200人に影響 北区
●スーパー屋外の灯油タンクが燃える不審火 室蘭市
●山菜取りに出かけた男性が遭難 けさから捜索 共和町
●札幌・円山動物園 国内最高齢のカバ「ドン」が死ぬ 53歳
●クマ対策に草刈り 大学生や町内会 南区
●きょうのメジャーリーグ
カージナルス・ヌートバー選手がケガからメジャー復帰
●きのうのプロ野球交流戦結果
ファイターズがDeNAに延長の末4-3で4連勝 5年ぶり交流戦勝ち越し
宇佐見真吾捕手、斎藤綱記投手と中日の郡司裕也捕手、山本拓実投手の2対2のトレード
●サッカー日本代表 きょうペルー代表と強化試合
●バスケ男子日本代表 W杯へ代表候補25人発表 八村塁選手や渡邊雄太選手ら
●全道高校大会・女子ソフト とわの森が札幌東商に11-0コールドで優勝
●自衛官候補生の実家を自衛隊が家宅捜索へ 自動小銃発射3人死傷
●習主席とブリンケン国務長官が面会 「常にお互いに尊敬と誠意を」
●衛星打ち上げ失敗「最も重大な欠陥」初めて国内に認める 北朝鮮重要会議
●旧優生保護法問題の調査報告書 衆参両院の議長に提出態
●「ドリフトダイビング」中に行方不明の7人、全員救助 沖縄・糸満市沖
●自転車の男子高校生と路線バスが交差点で衝突 札幌市西区
●JR学園都市線の線路から煙 一時運転見合わせで約1200人に影響 北区
●スーパー屋外の灯油タンクが燃える不審火 室蘭市
●山菜取りに出かけた男性が遭難 けさから捜索 共和町
●札幌・円山動物園 国内最高齢のカバ「ドン」が死ぬ 53歳
●クマ対策に草刈り 大学生や町内会 南区
●きょうのメジャーリーグ
カージナルス・ヌートバー選手がケガからメジャー復帰
●きのうのプロ野球交流戦結果
ファイターズがDeNAに延長の末4-3で4連勝 5年ぶり交流戦勝ち越し
宇佐見真吾捕手、斎藤綱記投手と中日の郡司裕也捕手、山本拓実投手の2対2のトレード
●サッカー日本代表 きょうペルー代表と強化試合
●バスケ男子日本代表 W杯へ代表候補25人発表 八村塁選手や渡邊雄太選手ら
●全道高校大会・女子ソフト とわの森が札幌東商に11-0コールドで優勝
今朝の選曲
【6時台】
M「Just You and I /安室奈美恵」
【7時台】
M「ザ・リフレックス/デュラン・デュラン」
M「Just You and I /安室奈美恵」
【7時台】
M「ザ・リフレックス/デュラン・デュラン」
あさミミ!アラカルト〜八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は 「 フォークボールの神様 杉下茂 」
中日のエースとして1954年の球団初となる日本一に貢献し、
中日、阪神で監督も務めた杉下茂さんが
6月12日、間質性肺炎のため東京都内の病院でなくなりました。享年97歳でした。
杉下茂さんは1925年9月17日、東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)出身の投手です。
実家は大きな中華料理屋さんを営んでいて、
杉下さんはお父さまが50歳ほどの時に生まれたそうです。
杉下さんにとってのお父さまは身体を壊して寝込んでいる印象しかなかったそうですが、
野球好きで、寝床にいながら東京六大学野球の試合をラジオで聞きつつ
スコアブックを付けていたほど野球好きだったそうです。
またお母さまは野球好きではなかったそうなんですが、
日曜日には弁当を持って神宮球場へ連れて行ってくれたそうです。
杉下さんが2~3歳の頃に一家はお父さまの職場がある中央区新川へ転居、
その際にグローブとミットを買ってもらい、明正小学校低学年の頃には3歳上のお兄さまと
キャッチボールを始めます。
4年生の2月にお父さまが病気で亡くなった後は現千代田区の神田へ転居、
区大会では負けなしの強豪で、4~5歳年上の仲間に混ざってプレーしていたところを
野球部へ勧誘され、この頃から投手としてプレーし始めます。
旧制帝京商業学校では野球部に所属、当時監督だった天知俊一さんの元で
4番・一塁手としてプレーします。
長身を生かし、投手として登板することもありましたが当時は弱肩で、
守備時の送球は下手投げに近い横手投げだったそうです。
ところが、杉下さんにとっての大きな転機がこの後2度訪れます。
1944年3月、旧制帝京商業学校卒業後12月25日旧日本軍に入隊、
野球経験者という理由だけで中隊対抗の手榴弾投げ競争の代表選手に選ばれたそうです。
ただ、野球経験者ながら弱肩ということを言い出せず、かといって何もできないのではすまないと、
投球フォームを上手投げに矯正して必死に遠投を練習したそうです。
すると、その遠投が功を奏し肩が強くなって優勝したということになりました。
終戦後、杉下さんは捕虜収容所に入れられるなど大変苦労もしたそうなんですが、
何とか生き延び1946年1月に帰国。復員後は社会人野球のいすゞ自動車へ入り、
当時監督だった、苅田久徳さん・・この方は1934年現在の読売ジャイアンツの前身となる
「大日本東京野球倶楽部」の設立に参加した方で、巨人軍入団選手の第2号の方です・・
その苅田さんによって本格的に投手として起用されます。
すると、いきなりノーヒットノーランを達成。
その際の球審は奇しくも旧制帝京商業学校野球部当時の監督だった天知俊一さん。
病気療養の弱肩投手から強肩速球派投手に進化した杉下さんに
驚ろいていたというエピソードも残っています。
実は杉下さんの2度目の転機はその後、この天知俊一さんによってもたらされます。
第二次世界大戦で中断していた東京六大学野球リーグが1946年春に再開されることになりました。
杉下さんは野球を続けるために都市対抗野球終了後にいすゞ自動車を退社、
明治大学旧制専門部へ入学。
ところがこの当時の明治大学の指導はいい加減なもので、
午前中に300球近くを投げ込んだ後に打撃練習で2時間登板、
投げ方も横や下など定まらない投球で、一日1000球も投げ込むこともあったそうです。
また、杉下さんが一塁手をやっていたらしいというだけで、
一塁でノックを受けさせたるなど行き当たりばったりの野球生活が続いたそうです。
しかし、大学卒業直前の1948年正月のことでした。
岡山県立琴浦商業学校に投手として在籍していた東谷夏樹さんにナックルボール・・
これもボールに爪を立てて投げる揺れながら落ちるボールですが・・
それを教えていた杉下さんを見かけた天知俊一さんは杉下さんに
「『フォークボール』というものがある」と教えます。
実はこの天知俊一さんは1922年に来日したメジャーリーガーと
東京六大学野球の選手として対戦した方で、その来日メンバーの中にいた人物こそ
フォークボールの生みの親「バレット・ジョー・ブッシュ」、
その生みの親であるバレット・ジョー・ブッシュに実際に握りを見せてもらったという
エピソードが残っています。
つまり、フォークボールを発明した人から、日本で初めて教えてもらった方に教わったのが杉下さん。
ですから脈々と続く日本投手のフォークボールはこうして伝わったということになります。
ただ、大学の頃に試しに試合で投げた1球がヒットになったために
しばらくフォークボールを封印していた杉下さん。
それを解禁したのが中日ドラゴンズに入団した1949年。
4月の東映フライヤーズ(現在のファイターズの前身)との対戦でついに封印を解き、
この年38HRを放った大下弘さんから3奪三振など活躍。
このフォークボールを武器に1950年からは1955年まで6年連続20勝を含む、
9年連続2桁勝利を記録しました。
特に1954年には32勝を挙げ投手タイトルを総なめにし、MVP、沢村賞も獲得。
西鉄との日本シリーズでは3勝の活躍でチームを日本一に導きました。
このフォークボール、アメリカではロイ・フェス投手が
1950年代半ばから60年代にかけて駆使して活躍、
それよりも早く杉下さんはフォークを操り大活躍していたわけです。
ただ、ご本人が後日語っていたお話では、
「フォークボールの杉下なんて言われるけど、現役時代に広島とか大洋(現DeNA)には
1球も投げなかったぞ」というものです。
理由は「フォークを投げたら絶対空振りする。
打者1人に3球も投げるのはもったいないだろ」というもの。
当時のエースは、今のように中6日も明けてもらえません。
連投が当たり前の時代にあって体力温存のため、なるべく少ない球数で抑えたいげ故の
「絶対空振りするフォークなど投げない」1、2球で打ち取るため、
真っすぐとカーブだけ投げていたというエピソードです。
ただ、真剣にフォークを投げたのは、巨人戦、特に当時の主力、
川上哲治さんに対してだけ。
必殺の武器を使って三振させるのが最大の快感だったということで、
これが「フォークボールの神様」たる所以なのかもしれません。
今やメジャーでは投げる投手がほとんどおらず、
逆にフォークを武器にする日本人投手が重宝される時代。
杉下さんの残したものはとてつもなく大きいと言えるでしょう。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は 「 フォークボールの神様 杉下茂 」
中日のエースとして1954年の球団初となる日本一に貢献し、
中日、阪神で監督も務めた杉下茂さんが
6月12日、間質性肺炎のため東京都内の病院でなくなりました。享年97歳でした。
杉下茂さんは1925年9月17日、東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)出身の投手です。
実家は大きな中華料理屋さんを営んでいて、
杉下さんはお父さまが50歳ほどの時に生まれたそうです。
杉下さんにとってのお父さまは身体を壊して寝込んでいる印象しかなかったそうですが、
野球好きで、寝床にいながら東京六大学野球の試合をラジオで聞きつつ
スコアブックを付けていたほど野球好きだったそうです。
またお母さまは野球好きではなかったそうなんですが、
日曜日には弁当を持って神宮球場へ連れて行ってくれたそうです。
杉下さんが2~3歳の頃に一家はお父さまの職場がある中央区新川へ転居、
その際にグローブとミットを買ってもらい、明正小学校低学年の頃には3歳上のお兄さまと
キャッチボールを始めます。
4年生の2月にお父さまが病気で亡くなった後は現千代田区の神田へ転居、
区大会では負けなしの強豪で、4~5歳年上の仲間に混ざってプレーしていたところを
野球部へ勧誘され、この頃から投手としてプレーし始めます。
旧制帝京商業学校では野球部に所属、当時監督だった天知俊一さんの元で
4番・一塁手としてプレーします。
長身を生かし、投手として登板することもありましたが当時は弱肩で、
守備時の送球は下手投げに近い横手投げだったそうです。
ところが、杉下さんにとっての大きな転機がこの後2度訪れます。
1944年3月、旧制帝京商業学校卒業後12月25日旧日本軍に入隊、
野球経験者という理由だけで中隊対抗の手榴弾投げ競争の代表選手に選ばれたそうです。
ただ、野球経験者ながら弱肩ということを言い出せず、かといって何もできないのではすまないと、
投球フォームを上手投げに矯正して必死に遠投を練習したそうです。
すると、その遠投が功を奏し肩が強くなって優勝したということになりました。
終戦後、杉下さんは捕虜収容所に入れられるなど大変苦労もしたそうなんですが、
何とか生き延び1946年1月に帰国。復員後は社会人野球のいすゞ自動車へ入り、
当時監督だった、苅田久徳さん・・この方は1934年現在の読売ジャイアンツの前身となる
「大日本東京野球倶楽部」の設立に参加した方で、巨人軍入団選手の第2号の方です・・
その苅田さんによって本格的に投手として起用されます。
すると、いきなりノーヒットノーランを達成。
その際の球審は奇しくも旧制帝京商業学校野球部当時の監督だった天知俊一さん。
病気療養の弱肩投手から強肩速球派投手に進化した杉下さんに
驚ろいていたというエピソードも残っています。
実は杉下さんの2度目の転機はその後、この天知俊一さんによってもたらされます。
第二次世界大戦で中断していた東京六大学野球リーグが1946年春に再開されることになりました。
杉下さんは野球を続けるために都市対抗野球終了後にいすゞ自動車を退社、
明治大学旧制専門部へ入学。
ところがこの当時の明治大学の指導はいい加減なもので、
午前中に300球近くを投げ込んだ後に打撃練習で2時間登板、
投げ方も横や下など定まらない投球で、一日1000球も投げ込むこともあったそうです。
また、杉下さんが一塁手をやっていたらしいというだけで、
一塁でノックを受けさせたるなど行き当たりばったりの野球生活が続いたそうです。
しかし、大学卒業直前の1948年正月のことでした。
岡山県立琴浦商業学校に投手として在籍していた東谷夏樹さんにナックルボール・・
これもボールに爪を立てて投げる揺れながら落ちるボールですが・・
それを教えていた杉下さんを見かけた天知俊一さんは杉下さんに
「『フォークボール』というものがある」と教えます。
実はこの天知俊一さんは1922年に来日したメジャーリーガーと
東京六大学野球の選手として対戦した方で、その来日メンバーの中にいた人物こそ
フォークボールの生みの親「バレット・ジョー・ブッシュ」、
その生みの親であるバレット・ジョー・ブッシュに実際に握りを見せてもらったという
エピソードが残っています。
つまり、フォークボールを発明した人から、日本で初めて教えてもらった方に教わったのが杉下さん。
ですから脈々と続く日本投手のフォークボールはこうして伝わったということになります。
ただ、大学の頃に試しに試合で投げた1球がヒットになったために
しばらくフォークボールを封印していた杉下さん。
それを解禁したのが中日ドラゴンズに入団した1949年。
4月の東映フライヤーズ(現在のファイターズの前身)との対戦でついに封印を解き、
この年38HRを放った大下弘さんから3奪三振など活躍。
このフォークボールを武器に1950年からは1955年まで6年連続20勝を含む、
9年連続2桁勝利を記録しました。
特に1954年には32勝を挙げ投手タイトルを総なめにし、MVP、沢村賞も獲得。
西鉄との日本シリーズでは3勝の活躍でチームを日本一に導きました。
このフォークボール、アメリカではロイ・フェス投手が
1950年代半ばから60年代にかけて駆使して活躍、
それよりも早く杉下さんはフォークを操り大活躍していたわけです。
ただ、ご本人が後日語っていたお話では、
「フォークボールの杉下なんて言われるけど、現役時代に広島とか大洋(現DeNA)には
1球も投げなかったぞ」というものです。
理由は「フォークを投げたら絶対空振りする。
打者1人に3球も投げるのはもったいないだろ」というもの。
当時のエースは、今のように中6日も明けてもらえません。
連投が当たり前の時代にあって体力温存のため、なるべく少ない球数で抑えたいげ故の
「絶対空振りするフォークなど投げない」1、2球で打ち取るため、
真っすぐとカーブだけ投げていたというエピソードです。
ただ、真剣にフォークを投げたのは、巨人戦、特に当時の主力、
川上哲治さんに対してだけ。
必殺の武器を使って三振させるのが最大の快感だったということで、
これが「フォークボールの神様」たる所以なのかもしれません。
今やメジャーでは投げる投手がほとんどおらず、
逆にフォークを武器にする日本人投手が重宝される時代。
杉下さんの残したものはとてつもなく大きいと言えるでしょう。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は庭野ほのかANが担当
「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
2023年企画始動中!「あやほのかプレゼント企画」「家庭菜園企画」
「”あやほのか”プレゼント企画」
去年は上田さんと油野ANが収穫した、深川市旭農場さんの新米を
今回「サッポロさとらんど」さんの市民農園に応募しましたらなんと抽選で当たりました!
去年は上田さんと油野ANが収穫した、深川市旭農場さんの新米を
「あやすみほ」と銘打って、秋にリスナープレゼントいたしました。
2023年は「あやほのか」(上田あやと庭野ほのかAN)と名前も新たに、
お米の田植えから収穫までチャレンジしようじゃないかという企画です!
(今回のお米の品種は「おぼろづき」です)
お米の田植えから収穫までチャレンジしようじゃないかという企画です!
(今回のお米の品種は「おぼろづき」です)
「あさミミ!家庭菜園企画」
家庭菜園企画は、番組で野菜を育てその野菜を何かしらの形で
リスナーの皆様に還元しようじゃないかという企画です。
今回「サッポロさとらんど」さんの市民農園に応募しましたらなんと抽選で当たりました!
番組用の畑と、上田あやさん個人の畑の二つをお借りすることが出来ました。
理想はリスナープレゼントできるレベルの野菜を育てること!
ですが正直分かりません。温かい耳で見守って頂ければと思います。
ぜひ皆さんからの家庭菜園レポートもお待ちしています!
あなたの畑の情報ぜひ教えてください!
メール asamimi@stv.jp はもちろん、
ツイッターで #あさミミ家庭菜園 をつけてぜひつぶやいてください!
どちらも収穫までの長期企画ですが、ぜひお付き合いください。
-
きゅうりのネット張りに勤しむ上田さん
あさミミリサーチ夏のSP企画「最強!ごはんのおともグランプリ~お野菜編~」
朝の楽しみといえば、朝ごはん。STVラジオの朝といえば、あさミミ。
あさミミといえば、「新米企画“あやほのか”」。さらにあさミミといえば、「家庭菜園」。
この連想で行き着く先、それは・・・“ごはんに一番合うお野菜レシピです!”
ごはんに合うお野菜レシピ・キングは「漬物」です。
より料理で言うと「野菜炒め」でしょうか。
このツートップを超える“ごはんに一番合うお野菜レシピ”を大募集いたします!
あなたの「ごはんに一番合う “最強のお野菜レシピ”」を教えてください!
・大前提として、お手軽レシピであること!
・ちょっとの工夫で「ごはんに一番合う・最強!」を見つけたい!
例)漬物は漬物でも何かひと工夫。細かく刻んでごはんのおとも!
例)炒め物は炒めものでも何かひと工夫。醤油の香りをプラス!
⇒皆さんのちょっとしたアイディアで「よりごはんに合う」を見つけましょう!
メール:asamimi@stv.jp FAX:011-202-7290
頂いたレシピは随時番組でご紹介していきます。(スタジオで実際に試食も?)
そして7/5(水)のあさミミリサーチで
「あさミミ認定・ごはんのおともグランプリ~お野菜編~」を決定する予定です。
「あさミミ認定・ごはんのおともグランプリ~お野菜編~」を決定する予定です。
皆様のご参加お待ちしています!