今朝の放送内容 11月15日(火)
2022年11月15日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●米中首脳会談 関係改善に意欲
●日中首脳会談 17日開催へ
●北区の住宅で成人2人の遺体
●中富良野町と三笠市で高齢者はねられる
●中央区で車3台からむ事故 1人死亡
●JR北海道 収益改善も赤字230億円
●道内感染者4161人 全国3万6千人
●横田めぐみさん 拉致からきょうで45年
●ファイターズ新球場問題 来春の開業は認める 来季オフ以降に改修へ
●プロ野球セ・パ ゴールデングラブ賞発表
●ヤクルト村上宗隆選手が会見 MLB挑戦に意欲「早ければ早い方が良い」
●きのうの大相撲九州場所結果 一山本2連勝
●NBA渡辺雄太選手 ケガから復帰戦で11得点
●コンサドーレ・Jリーグアジアチャレンジ きょう現地で川崎戦
●オリックス伏見寅威捕手がファイターズ入りを決意 スポニチ報道
●ファイターズ 八木裕打撃コーチが就任会見
●日中首脳会談 17日開催へ
●北区の住宅で成人2人の遺体
●中富良野町と三笠市で高齢者はねられる
●中央区で車3台からむ事故 1人死亡
●JR北海道 収益改善も赤字230億円
●道内感染者4161人 全国3万6千人
●横田めぐみさん 拉致からきょうで45年
●ファイターズ新球場問題 来春の開業は認める 来季オフ以降に改修へ
●プロ野球セ・パ ゴールデングラブ賞発表
●ヤクルト村上宗隆選手が会見 MLB挑戦に意欲「早ければ早い方が良い」
●きのうの大相撲九州場所結果 一山本2連勝
●NBA渡辺雄太選手 ケガから復帰戦で11得点
●コンサドーレ・Jリーグアジアチャレンジ きょう現地で川崎戦
●オリックス伏見寅威捕手がファイターズ入りを決意 スポニチ報道
●ファイターズ 八木裕打撃コーチが就任会見
今朝の選曲
【5時台】
M「サイレンスがいっぱい/杉山清貴&オメガトライブ」
【6時台】
M「そばにいるよ/ Uru 」
【7時台】
M「明日なき暴走/ブルース・スプリングスティーン」
M「サイレンスがいっぱい/杉山清貴&オメガトライブ」
【6時台】
M「そばにいるよ/ Uru 」
【7時台】
M「明日なき暴走/ブルース・スプリングスティーン」
あさミミ!アラカルト~八幡淳のスポーツプレゼンス
八幡淳ならではの目線と感覚で
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 日本人プロ初の1億円プレーヤー中野浩一 」
プロ野球界ではオフシーズンになると契約更改の話題が花盛りとなます。
年俸1億はプロスポーツ選手にとっては一流になった証の金額として、
今も広く認識されています。
その“億”の扉を開いたのは、日本の野球界では落合博満さんが
1986年に日本人初の1億円プレーヤーになったことからですが、
その6年も前に日本人初の1億円プレーヤーとなっていたのが
14日(月)に67歳の誕生日を迎えた元競輪選手、中野浩一さんです。
中野浩一さんは1955年11月14日福岡県久留米市出身の元競輪選手・自転車競技選手。
両親はともに元競輪選手、本人は福岡県立八女工業高校で陸上競技をしていて
高校2年生のときは、山形インターハイ・400メートルリレー走の第3走者として
優勝に貢献されるなど優秀な陸上選手でした。
ただ、高校3年春に右太ももの肉離れで陸上競技での大学進学を断念。
卒業後は、おじい様が中学校の校長をしていたことから体育教諭への道や、
プロゴルファーになる希望を持っていたそうです。
そんな中、当時競輪選手だった父、光仁さんから、
「一度トラックレーサーに乗ってみないか」と勧められ、
わずか3か月程度の練習の末、競輪学校第35期生試験に合格。
1975年に競輪学校を卒業すると、いきなりその才能を開花させます。
この年の5月3日に久留米競輪場でデビューするといきなりそのレースで優勝。
なんとそのデビュー戦を含めて18戦無敗の記録を作ります。
このいきなりの活躍に中野さんには「九州のハヤブサ」というニックネームが付けられたそうです。
そんな中野さんに対し当時、対抗するためフラワーラインと呼ばれるグループが形成され、
全国規模に拡大。最終的には九州勢VSフラワーラインの戦いに発展します。
というのも、競輪は1レースあたりの競走人数が、5〜9人と決められているので、
あまりにも強い中野さんを他の選手が数人でチームを組めば勝てなくなるわけです。
そんな中野さんを孤立させないために九州勢も対抗したという・・
それほど圧倒的な強さを誇る選手だったということです。
そんなし烈な争いもあり特別競輪と呼ばれる今のG1レースに相当する大会では
なかなか勝利できなかった中野さんでしたが、
特別競輪出場10回目となる1978年の競輪祭を制し、初めての優勝を飾ります。
すると、1980年、日本のプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円突破を達成します。
そう、日本人初の1億円プレーヤーはプロ野球選手ではなく、
競輪選手だったのです。
1980年のプロ野球選手の平均年俸は602万円、
この年現役最終年だった王貞治さんの年俸は8160万円。
一般サラリーマンの平均年収は294万円、この年の宝くじの1等賞金額は3000万円なので、
その金額のすごさはご理解いただけるのではないでしょうか。
その後中野さんは、1981年の日本選手権競輪も制し、
史上2人目の特別競輪3連覇を達成。
1983年には史上最多の6回目の賞金王の座に輝いた他
1985年に開始されたKEIRINグランプリを制し、このレースの初代優勝者となります。
そんな中野さんが無類の強さを誇った、1970年代後半から1980年代前半にかけては
「浩一ダッシュ」と称される捲りは非常に鋭く、
日本国内ではもはや敵なしと言ってもいいような存在でした。
こうした実力の持ち主ですので、中野さんの目標は世界へと向けられていきます。
1976年、初めて世界自転車選手権に参戦、プロ・スクラッチ、
現在のスプリントに当たる競技で4位に入ります。
この自転車競技のスプリントは予選でタイムトライアル、
本戦では1対1の勝ち抜き形式で優勝を決めるものですが、
中野さんは翌年の1977年、準決勝で当時この種目連覇中だった
オーストラリアのジョン=ミカエル・ニコルソンを破ると、
決勝では日本の菅田順和さんに勝利し、日本人選手として初めて優勝を果たします。
そしてこの年以降も中野さんは毎年この種目で優勝し続け、
なんと1986年までに前人未到の10連覇を達成します。
この世界自転車選手権は1893年、
アメリカシカゴで第1回が開催されて以降2つの世界大戦で中止になった年を除き、
そのほとんどがアメリカやヨーロッパ各国で行われていて、
いわば完全アウェイの中で行われてきました。
そんな大会で日本の選手が毎年出場していたという事例、そのものが少なかった頃の偉業だけに、
現在海外で活躍し続ける日本人スポーツ選手の先駆者となった存在と言ってもいい方でした。
もしこの時代にオリンピックの競輪種目に出場できていたならば、何連覇をしていたのか・・
見てみたかった選手の筆頭と言えるでしょう。
その後中野さんは国内でも常にトップクラスで活躍し続け、
1988年には通算賞金獲得額10億円を突破。
1992年に特別競輪の中では、最後まで優勝できなかった
高松宮杯競輪(現在の高松宮記念杯競輪)の決勝戦で2着になったのを最後に現役を引退。
生涯獲得賞金総額は13億1916万2077円という名選手でした。
競技引退後はスポーツ紙での解説などを務める傍ら、
日本自転車競技連盟強化委員長、競輪選手養成所名誉教授などを歴任。
こうした功績が認められて2006年には春の紫綬褒章を公営競技の選手、
及び競輪選手として初めて受章されます。
競輪選手としての現役時代の活躍はもちろん、
先のご紹介した世界選手権プロスプリント10連覇が高く評価されたようです。
現在、現役時の本拠地であった久留米競輪場では中野さんの功績を称え毎年、
記念競輪を「中野カップレース」と名づけて開催されています。
臨場感(プレゼンス)あふれるスポーツの話題をお伝えしています。
今回は「 日本人プロ初の1億円プレーヤー中野浩一 」
プロ野球界ではオフシーズンになると契約更改の話題が花盛りとなます。
年俸1億はプロスポーツ選手にとっては一流になった証の金額として、
今も広く認識されています。
その“億”の扉を開いたのは、日本の野球界では落合博満さんが
1986年に日本人初の1億円プレーヤーになったことからですが、
その6年も前に日本人初の1億円プレーヤーとなっていたのが
14日(月)に67歳の誕生日を迎えた元競輪選手、中野浩一さんです。
中野浩一さんは1955年11月14日福岡県久留米市出身の元競輪選手・自転車競技選手。
両親はともに元競輪選手、本人は福岡県立八女工業高校で陸上競技をしていて
高校2年生のときは、山形インターハイ・400メートルリレー走の第3走者として
優勝に貢献されるなど優秀な陸上選手でした。
ただ、高校3年春に右太ももの肉離れで陸上競技での大学進学を断念。
卒業後は、おじい様が中学校の校長をしていたことから体育教諭への道や、
プロゴルファーになる希望を持っていたそうです。
そんな中、当時競輪選手だった父、光仁さんから、
「一度トラックレーサーに乗ってみないか」と勧められ、
わずか3か月程度の練習の末、競輪学校第35期生試験に合格。
1975年に競輪学校を卒業すると、いきなりその才能を開花させます。
この年の5月3日に久留米競輪場でデビューするといきなりそのレースで優勝。
なんとそのデビュー戦を含めて18戦無敗の記録を作ります。
このいきなりの活躍に中野さんには「九州のハヤブサ」というニックネームが付けられたそうです。
そんな中野さんに対し当時、対抗するためフラワーラインと呼ばれるグループが形成され、
全国規模に拡大。最終的には九州勢VSフラワーラインの戦いに発展します。
というのも、競輪は1レースあたりの競走人数が、5〜9人と決められているので、
あまりにも強い中野さんを他の選手が数人でチームを組めば勝てなくなるわけです。
そんな中野さんを孤立させないために九州勢も対抗したという・・
それほど圧倒的な強さを誇る選手だったということです。
そんなし烈な争いもあり特別競輪と呼ばれる今のG1レースに相当する大会では
なかなか勝利できなかった中野さんでしたが、
特別競輪出場10回目となる1978年の競輪祭を制し、初めての優勝を飾ります。
すると、1980年、日本のプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円突破を達成します。
そう、日本人初の1億円プレーヤーはプロ野球選手ではなく、
競輪選手だったのです。
1980年のプロ野球選手の平均年俸は602万円、
この年現役最終年だった王貞治さんの年俸は8160万円。
一般サラリーマンの平均年収は294万円、この年の宝くじの1等賞金額は3000万円なので、
その金額のすごさはご理解いただけるのではないでしょうか。
その後中野さんは、1981年の日本選手権競輪も制し、
史上2人目の特別競輪3連覇を達成。
1983年には史上最多の6回目の賞金王の座に輝いた他
1985年に開始されたKEIRINグランプリを制し、このレースの初代優勝者となります。
そんな中野さんが無類の強さを誇った、1970年代後半から1980年代前半にかけては
「浩一ダッシュ」と称される捲りは非常に鋭く、
日本国内ではもはや敵なしと言ってもいいような存在でした。
こうした実力の持ち主ですので、中野さんの目標は世界へと向けられていきます。
1976年、初めて世界自転車選手権に参戦、プロ・スクラッチ、
現在のスプリントに当たる競技で4位に入ります。
この自転車競技のスプリントは予選でタイムトライアル、
本戦では1対1の勝ち抜き形式で優勝を決めるものですが、
中野さんは翌年の1977年、準決勝で当時この種目連覇中だった
オーストラリアのジョン=ミカエル・ニコルソンを破ると、
決勝では日本の菅田順和さんに勝利し、日本人選手として初めて優勝を果たします。
そしてこの年以降も中野さんは毎年この種目で優勝し続け、
なんと1986年までに前人未到の10連覇を達成します。
この世界自転車選手権は1893年、
アメリカシカゴで第1回が開催されて以降2つの世界大戦で中止になった年を除き、
そのほとんどがアメリカやヨーロッパ各国で行われていて、
いわば完全アウェイの中で行われてきました。
そんな大会で日本の選手が毎年出場していたという事例、そのものが少なかった頃の偉業だけに、
現在海外で活躍し続ける日本人スポーツ選手の先駆者となった存在と言ってもいい方でした。
もしこの時代にオリンピックの競輪種目に出場できていたならば、何連覇をしていたのか・・
見てみたかった選手の筆頭と言えるでしょう。
その後中野さんは国内でも常にトップクラスで活躍し続け、
1988年には通算賞金獲得額10億円を突破。
1992年に特別競輪の中では、最後まで優勝できなかった
高松宮杯競輪(現在の高松宮記念杯競輪)の決勝戦で2着になったのを最後に現役を引退。
生涯獲得賞金総額は13億1916万2077円という名選手でした。
競技引退後はスポーツ紙での解説などを務める傍ら、
日本自転車競技連盟強化委員長、競輪選手養成所名誉教授などを歴任。
こうした功績が認められて2006年には春の紫綬褒章を公営競技の選手、
及び競輪選手として初めて受章されます。
競輪選手としての現役時代の活躍はもちろん、
先のご紹介した世界選手権プロスプリント10連覇が高く評価されたようです。
現在、現役時の本拠地であった久留米競輪場では中野さんの功績を称え毎年、
記念競輪を「中野カップレース」と名づけて開催されています。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は油野純帆ANが担当
「ローカル情報発信!あぶらのチェック」
北海道生活が2年目の油野AN。179市町村のことをもっと知りたい!という
好奇心から、その週にピッタリのご当地情報を紹介する超ローカルコーナーです。
火曜日が「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
水曜日が「あさミミ☆リサーチ」!ですが、少しマイナーチェンジします。
毎週ひとつのテーマを設定。皆さんからメッセージをお寄せいただくコーナーになります。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
テーマによってはツイッターでアンケートも実施していきます。
木曜日が「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日が「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!
ファイターズ選手の直筆サインボールプレゼント!!
北海道日本ハムファイターズ
清水優心選手、野村佑希選手、玉井大翔選手 の直筆サインボールを
それぞれお一人にプレゼントいたします!!
希望の選手のお名前を明記の上、メール・FAX・お葉書でご応募ください。
メールアドレス asamimi@stv.jp
FAX 011-202—7290
お葉書 〒060-8705 STVラジオあさミミ!サインボール係
あなたの住所・氏名・電話番号、希望の選手のお名前をお忘れなく。
締切は11/15(火)必着。
当選者は16日(水)のあさミミで発表します。
たくさんのご参加お待ちしています!
あさミミでは「もったいない」への取り組みを全力応援します!
北海道ライブあさミミでは、この秋からスペシャル企画始動します。
例えば、
題して「 もったいない!プラスワン! 」
去年はリスナーの皆様の「節約」を全力応援してきましたが、
今年のキーワードは「もったいない」です。
普段の生活には「もったいない」と感じる場面が数多く潜んでいます。
みんなでその「もったいない」をひとつでも多く防いで行こうではないか!
という企画です。
例えば、
・旦那が捨てようとしていた歯磨き粉、開いたらあと2回分残っていた!
・息子が使わなくなったカバン、夫がその後10年使用。まだまだ現役です!
・今まで捨てていた大根の葉っぱ。レシピを調べたらものすごい数でびっくり!
など、日常生活で感じた・共有したい「もったいない」エピソードを
あさミミまでお寄せください。
この企画をきっかけに、生活に「もったいない」をプラスしていきましょう!
メール・FAX・おハガキでお待ちしています!
メール asamimi@stv.jp FAX 011-202-7290
おハガキ 〒060-8705 STVラジオあさミミ もったいない係
※こちらも毎週の「あさミミ粗品歯ブラシ」プレゼントの抽選対象です
※こちらも毎週の「あさミミ粗品歯ブラシ」プレゼントの抽選対象です
あさミミでは今後も「もったいない」に関する様々な取り組み
ご紹介していきます!お楽しみに!