今朝の放送内容 3月12日(火)
2024年3月12日(火)
今朝の放送内容
今朝の主なニュース・スポーツ情報
●雪崩に巻き込まれた外国人の男女2人死亡 バックカントリースキー 倶知安町・羊蹄山
●俱知安町・イワオヌプリでも雪崩か フランス国籍の30代男性が負傷 バックカントリースキー
●横断歩道の女性2人が乗用車にはねられる 運転手の男を現行犯逮捕 北広島市
●地下街直結「ほくほく札幌ビル」オープン 大通地区のランドマークに 喫茶店など市民利用も
●東日本大震災から13年、道内各地で追悼 岸田総理は日本産水産物の中露輸入停止の即時撤廃求める
●小学2年生の男子児童がトラックはねられ意識不明 滋賀県野洲市
●ICC=国際刑事裁判所所長に初の日本人 赤根智子裁判官が就任
●ISS長期滞在の古川聡さん地球帰還へ きょう午後7時前に帰還予定
●利益トップ企業半数交代 32業種集計、値上げ・改革効果
●米アカデミー賞で日本2作品受賞 長編アニメ・視覚効果
●IHアジアリーグ・レッドイーグルス 週末栃木に連勝 リーグ首位維持
●ファイターズ・郡拓也捕手と巨人・若林晃弘選手がトレード
●きのうの大相撲春場所 一山本が初白星で1勝1敗
●ラグビー日本代表とイタリア代表 7月にテストマッチを札幌ドームで開催 2年連続の代表戦
●パドレス・ダルビッシュ投手、ドジャースとの開幕戦で自身4度目の開幕投手に決定
●きのうの大リーグOP戦 ドジャース大谷翔平選手は3打数1安打1打点
レイズとマイナー契約・上沢直之投手が2回途中5失点も監督「猶予を与えたい」
●俱知安町・イワオヌプリでも雪崩か フランス国籍の30代男性が負傷 バックカントリースキー
●横断歩道の女性2人が乗用車にはねられる 運転手の男を現行犯逮捕 北広島市
●地下街直結「ほくほく札幌ビル」オープン 大通地区のランドマークに 喫茶店など市民利用も
●東日本大震災から13年、道内各地で追悼 岸田総理は日本産水産物の中露輸入停止の即時撤廃求める
●小学2年生の男子児童がトラックはねられ意識不明 滋賀県野洲市
●ICC=国際刑事裁判所所長に初の日本人 赤根智子裁判官が就任
●ISS長期滞在の古川聡さん地球帰還へ きょう午後7時前に帰還予定
●利益トップ企業半数交代 32業種集計、値上げ・改革効果
●米アカデミー賞で日本2作品受賞 長編アニメ・視覚効果
●IHアジアリーグ・レッドイーグルス 週末栃木に連勝 リーグ首位維持
●ファイターズ・郡拓也捕手と巨人・若林晃弘選手がトレード
●きのうの大相撲春場所 一山本が初白星で1勝1敗
●ラグビー日本代表とイタリア代表 7月にテストマッチを札幌ドームで開催 2年連続の代表戦
●パドレス・ダルビッシュ投手、ドジャースとの開幕戦で自身4度目の開幕投手に決定
●きのうの大リーグOP戦 ドジャース大谷翔平選手は3打数1安打1打点
レイズとマイナー契約・上沢直之投手が2回途中5失点も監督「猶予を与えたい」
今朝の選曲
【6時台】
M「くちびるNetwork /岡田有希子」
M「Lemon /米津玄師」
M「くちびるNetwork /岡田有希子」
M「Lemon /米津玄師」
あさミミ!アラカルト~庭野ほのかの☆いっぺこトーク
庭野ほのかAN、出身は新潟県。
「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしています!
今回は『 だがしの日 』
3/12は「だがしの日」です。
2015年に定められた比較的新しい記念日。
「お菓子の神様」の命日から、この「だがしの日」は定められたということです。
【お菓子の神様】
記念日制定のきっかけになった「お菓子の神様」は、
奈良時代に書かれた日本最古の書物『古事記』や『日本書紀』に登場します。
名前は漢字四文字で、「田道間守」と言って、今は兵庫の神社に祀られている、
実在していたとされる人物です。
この田道間守は、当時の天皇に仕えていて、
遠い海の向こうにあるという「伝説のフルーツ」を持ってくるよう名を受けます。
日本にはこの時代、その伝説のフルーツは無くて、
食べると年を取らず長生きできると考えられていました。
この「伝説のフルーツ」は今でいう「橘」で、ミカンの基となった原種です。
当時はスナックやスイーツと言った今のお菓子はもちろん存在しないので、
「お菓子」というのは「フルーツ」のことを指す言葉だったんです。
そして田道間守、頑張りました。「伝説のフルーツ」、見つけたんです。
しかしながら、探すのに時間がかかってしまっていて、
10年もの月日がたっていました。
不老不死になれるという「伝説のフルーツ」を持ち帰ったころには、
天皇は亡くなってしまっていたんです。
田道間守は悲しみに暮れながらも、「伝説のフルーツ」の半分を皇太后へ、
もう半分を亡くなった天皇のお墓に供えたと言います。
切ないお話ですが、田道間守のおかげで、
ミカンの原種である橘が日本に伝わったということです。
【駄菓子の歴史】
駄菓子を広辞苑で調べてみると、
「アワ・豆などの安価な材料を用いた大衆的な菓子」と出てきます。
つまり、安くて、庶民も買える、というのが駄菓子ということ。
どの時代に生まれたかと言いますと…キーワードは「庶民」…
そう、駄菓子は江戸時代に生まれたんです!
当時白砂糖はまだ高級品だったので、
庶民が食べる駄菓子には黒砂糖を使うというのがルールでした。
「麦こがし」「おこし」「カルメ焼き」などがあったということなんですが、
皆さんはいかがでしょうか?
ちなみに、私の母は幼いころ、私の曾祖母…母にとってはおばあちゃんです、
にカルメ焼きを作ってもらっていたと話していました。
とっても美味しかったと何度も自慢されているので、
食べてみたかったなぁと今でも思っています。
明治時代に入ると、海外の影響を受けた駄菓子が続々と登場していきます。
ビスケットやドロップ、チョコレートなどです。
ここから一気に近代化が進んでいくわけですから、
仕事で忙しい大人たちは自分の子どもに小銭を預けて、
子ども達が駄菓子屋さんに行くようになるんです。
ただ、戦時中はもちろん「駄菓子」もぜいたく品とされて規制されます。
第二次世界大戦が終わると、駄菓子屋は黄金期を迎えます。
特に昭和に入ってからできた駄菓子は今でも親しまれているものばかりなんです!
昭和元年発売「ボンタンアメ」、昭和6年「都コンブ」、
26年「ココアシガレット」などなど!
皆さんも思い出深い「駄菓子」があるのではないでしょうか?
【駄菓子の今】
そこからはご存じの通り、スーパーマーケットが増えるなどしたことで
「駄菓子屋」はだんだんと減ってきてしまいました。
私もお店として建っている「駄菓子屋さん」には行ったことがありません。
そして辞書にも載っているように「安い」というのが大きな特徴の駄菓子ですが、
最近では「値上がり」も深刻だと言います。
2年前にはうまい棒が10円から12円になったとニュースになっていました。
ただ、やっぱり安いことには安いと思うんです。
もちろん駄菓子がもっと安かった時期を知っていたり、
駄菓子の全盛期を知っていたりすると、高くなったと感じてしまうとは思うんですけれど。
子供たちがお金の使い方を学ぶ場として、
そして大人も「あの頃」を思い出す日々のちょっとした活力として、
駄菓子って素敵かなって思うんです。
今は「駄菓子屋さん」こそ少なくなっていますが、
スーパーやコンビニで手軽に買えますし、日常の小さな楽しみとして、
この「駄菓子」という文化が残っていってほしいなと感じています。
「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしています!
今回は『 だがしの日 』
3/12は「だがしの日」です。
2015年に定められた比較的新しい記念日。
「お菓子の神様」の命日から、この「だがしの日」は定められたということです。
【お菓子の神様】
記念日制定のきっかけになった「お菓子の神様」は、
奈良時代に書かれた日本最古の書物『古事記』や『日本書紀』に登場します。
名前は漢字四文字で、「田道間守」と言って、今は兵庫の神社に祀られている、
実在していたとされる人物です。
この田道間守は、当時の天皇に仕えていて、
遠い海の向こうにあるという「伝説のフルーツ」を持ってくるよう名を受けます。
日本にはこの時代、その伝説のフルーツは無くて、
食べると年を取らず長生きできると考えられていました。
この「伝説のフルーツ」は今でいう「橘」で、ミカンの基となった原種です。
当時はスナックやスイーツと言った今のお菓子はもちろん存在しないので、
「お菓子」というのは「フルーツ」のことを指す言葉だったんです。
そして田道間守、頑張りました。「伝説のフルーツ」、見つけたんです。
しかしながら、探すのに時間がかかってしまっていて、
10年もの月日がたっていました。
不老不死になれるという「伝説のフルーツ」を持ち帰ったころには、
天皇は亡くなってしまっていたんです。
田道間守は悲しみに暮れながらも、「伝説のフルーツ」の半分を皇太后へ、
もう半分を亡くなった天皇のお墓に供えたと言います。
切ないお話ですが、田道間守のおかげで、
ミカンの原種である橘が日本に伝わったということです。
【駄菓子の歴史】
駄菓子を広辞苑で調べてみると、
「アワ・豆などの安価な材料を用いた大衆的な菓子」と出てきます。
つまり、安くて、庶民も買える、というのが駄菓子ということ。
どの時代に生まれたかと言いますと…キーワードは「庶民」…
そう、駄菓子は江戸時代に生まれたんです!
当時白砂糖はまだ高級品だったので、
庶民が食べる駄菓子には黒砂糖を使うというのがルールでした。
「麦こがし」「おこし」「カルメ焼き」などがあったということなんですが、
皆さんはいかがでしょうか?
ちなみに、私の母は幼いころ、私の曾祖母…母にとってはおばあちゃんです、
にカルメ焼きを作ってもらっていたと話していました。
とっても美味しかったと何度も自慢されているので、
食べてみたかったなぁと今でも思っています。
明治時代に入ると、海外の影響を受けた駄菓子が続々と登場していきます。
ビスケットやドロップ、チョコレートなどです。
ここから一気に近代化が進んでいくわけですから、
仕事で忙しい大人たちは自分の子どもに小銭を預けて、
子ども達が駄菓子屋さんに行くようになるんです。
ただ、戦時中はもちろん「駄菓子」もぜいたく品とされて規制されます。
第二次世界大戦が終わると、駄菓子屋は黄金期を迎えます。
特に昭和に入ってからできた駄菓子は今でも親しまれているものばかりなんです!
昭和元年発売「ボンタンアメ」、昭和6年「都コンブ」、
26年「ココアシガレット」などなど!
皆さんも思い出深い「駄菓子」があるのではないでしょうか?
【駄菓子の今】
そこからはご存じの通り、スーパーマーケットが増えるなどしたことで
「駄菓子屋」はだんだんと減ってきてしまいました。
私もお店として建っている「駄菓子屋さん」には行ったことがありません。
そして辞書にも載っているように「安い」というのが大きな特徴の駄菓子ですが、
最近では「値上がり」も深刻だと言います。
2年前にはうまい棒が10円から12円になったとニュースになっていました。
ただ、やっぱり安いことには安いと思うんです。
もちろん駄菓子がもっと安かった時期を知っていたり、
駄菓子の全盛期を知っていたりすると、高くなったと感じてしまうとは思うんですけれど。
子供たちがお金の使い方を学ぶ場として、
そして大人も「あの頃」を思い出す日々のちょっとした活力として、
駄菓子って素敵かなって思うんです。
今は「駄菓子屋さん」こそ少なくなっていますが、
スーパーやコンビニで手軽に買えますし、日常の小さな楽しみとして、
この「駄菓子」という文化が残っていってほしいなと感じています。
毎朝6時半頃は「あさミミ!アラカルト」
月曜日は「あさミミ流!#(ハッシュタグ)今週の献立」
週の始まり月曜日は、1週間の献立・レシピをリスナーの皆さんのアイディアの下
“あさミミ流”にご紹介していきます!
火曜日は「庭野ほのかの☆いっぺこトーク」
新潟県出身の庭野ほのかAN。「いっぺこと」とは、新潟県の方言で『沢山』という意味。
このコーナーを通して“沢山”リスナーの皆さんとお話ができるよう、
庭野AN目線の話題を毎週お届けしていきます!
水曜日は「八幡淳のスポーツプレゼンス」
臨場感あふれるスポーツの情報・話題・歴史を紹介していきます!
木曜火は「ナガイの北海道生活研究室」
永井ANがいまリスナーと共有したい「北海道の生活情報」を伝えていきます!
金曜日は「北海道応援!あやサポ」
上田あやが北海道で頑張る「ひと」にスポットライトを当て、全力応援していきます!