10月17日放送「新人研修医時代のトーコ先生」
2021年10月17日(日)
10月17日放送「新人研修医時代のトーコ先生」
陶:今日のゲストはさっぽろ内科・リウマチ膠原病クリニックの院長、近 祐次郎(こん ゆうじろう)先生です。おはようございます。
近:おはようございます。
陶・山:よろしくお願いいたします。
山:近 祐次郎先生は、私が医師として勤務をはじめた最初の4月・5月から、マンツーマンで付いて教えてくださっていた大先輩・・・私の先生です。今は札幌市医師会の理事という大命を帯びていらっしゃいますけれども、当時は近先生が大学院1年生、私は研修医1年生という関係性で仕事を始めたと記憶しています
近:ああ、そういうことだったんですねえ(笑)
陶:忘れちゃってました?(笑)
近:あのときは私は大学院の1年目だったんですね。長い時を経て、やっと陶子先生のラジオに来れました。
陶:ずっと近先生をお呼びしたいなと思っていました。
山:先生仰ってましたもんね。
陶:コロナ禍の影響もあって、なかなか実現できませんでしたけれども、今日はたっぷりお話しいただこうと思います。
山:私も、陶子先生の新人時代の素顔を覗かせていただけるということで、とても楽しみにしていました。ということできょうはさっぽろ内科・リウマチ膠原病クリニックの院長、近祐次郎先生をお招きしてお送りいたします。それでは近先生、今日のテーマは?
近:「新人研修医時代の陶子先生」というお話です。
山:「新人研修医時代の陶子先生」…どんなだったんでしょうか(笑)
陶:まあ、今日は「医師の新人である、研修医の一般的なお話」という観点でご理解いただければと思います!今は「研修医制度」といって「最初の2年間は研修医をする」ルールがあるんですけれども、私の世代ではぎりぎり研修医勤めが義務ではなかったんですね。とはいえ、義務ではないながらも積極的に研修医になって勉強するというコースは比較的メジャーで、私もそういう意味で自ら希望して研修医になりました。今と違うことといえば、私の時代には、研修医になる前に自分の専門分野を決めてからスタートするという格好だったことでしょうか。私は最初、リウマチ・膠原病の分野を専門に決めて、北海道大学の第二内科という医局に入局しました。その専門分野、リウマチ膠原病の研修を、半年だったかな・・・?近先生のもとで積んだんですよね。近先生が、もう本当にいろはの「い」である各種検査のデータの読み方から何からを教えてくださったのですが、いち研修医の主観としては「いきなり全部をたたき込まれた」っていう感じです(笑)。
山:あぁ、そうだったんですね。本当に「はじめの一歩」だったんですね。近先生、陶子先生の第一印象はどうだったんでしょうか?
近:陶子先生が来たときは「ツッパリが来た」ていう感じでした(笑)
山:ツッパリ!(笑)
近:「ツッパリが斜めから見てやって来たな」という感じでした。でも、お話しすると、ラジオを聴いている人たちは皆さんわかっているかもしれないですけど、「超」女子で、面白くて。そして真面目で一生懸命だなと思いました。
山:尖っていたんですね、陶子先生。
陶:そんなことないですから!(笑)
山:でも中身は、今と変わらないんですね。
近:そうですね。中身は本当に真面目で、一生懸命で。僕は、その当時はですね、臨床業務を第一線でやっていることを自負していました。大学院の上級の先生方には研究活動に専念してほしいという思いもあって、「病棟を全部自分で見るんだ!」と意気込んでいた時期でもありましたし、そんな中に陶子先生が研修医として来たわけで、「使える奴が来たって」感じで。色々任せられるかなと思いました。
陶:そんなことを思って下さっていたんですか。私の観点からは、近先生は、めちゃくちゃおっかなかったですけれど・・・
山:そうなんですか?
陶:はい。でも、私が今でもよく覚えている当時の近先生の言葉としては「おかしいと思うことがあれば全部言え。相手がどんなに偉くても、お前が正しいと思うんなら言えるはずだ。逆にそれくらい正しいと思うことじゃなきゃ口に出すな。」というものでした。とっても納得したのと、私素直なので、本当にそうしたんですよね(笑)。今考えるとそれって「ものの喩え」で、本当にそうしろってことじゃなかったのかも…って冷や汗ものなんですけど(笑)。ただ、この先生だったら私信じて突っ走っていいんだなっていう頼もしさがありましたよ。
近:(笑)スポーツとか勉強とか、全部に言えることだと思いますけれど、「師が自分の考えの基本をまず弟子に叩き込んで、そして弟子はそのあとにその基本を自分自身の力で崩していく」っていうのが重要だと僕は思っていまして。医療は先人の経験で成り立っているという基本線が存在するんですけれども、新人は成長の過程でそれを崩していくものだと今も思っています。それともう1つは、新人の陶子先生が少しでも疑問だと思ったことに答えられない上司(自分ですね)、そういうのはダメだって思って、それは自分なりに気をつけていましたね。大きく分けて2つ、そういうことが大事だと思って指導していました。
陶:そうなんですよ。「お前の疑問に答えられないような奴には、戦って、向かっていけ」みたいなことを言われて。本当にそのとおりにしてしまいましたよね…
近:でも、それが結果として良い治療に結び付けばよかったし、そういう意味ではすごく上手にまとめたんじゃないかなと思いますね。陶子先生は、それでも頑固でしたけれども(笑)、一方でちゃんと「あ、そっか」って直せるとこもあったし、逆に変に譲らずに「それは違うんじゃないか」って反論することも、上手にやってたんじゃないかと。大変良い研修医生活をしてたんじゃないかなって今では思います。
山:具体的に何か覚えていらっしゃることはありますか?
近:膠原病全般の現場だけじゃないと思いますが、「百聞は一見に如かず」というか「患者さんを見れば1発で分かる」という場合が臨床現場でも時にあるんですね。そういった意味で、「考えるよりもとにかく患者さんを診にいったほうがいいよ!」っていうのを新人には強調して教えていたかと思いますね。入院病棟だと、自分たち研修医の今居る場所から1分もしないところに患者さんは常にいるんだけれど、なかなかそこに行くのをね、疲れたりして行きづらい時もあるはずなんです。それでも、行くんですね。「行こう」って声をかけるようにしていました。
陶:よく連れていかれましたし、本当に勉強になりました。逆に、その教えをおろそかにした結果痛い目をみて大いに反省することもありました。
近:今もほかの病院のICUなどに相談を受けると訪問することがあるんですが、相談をくださる先生方のお手紙の内容が素晴らしいので、カルテを見れば大体予想できて診断できてしまうことも多いんです。コロナ禍だし、なかなか実際にICUに足を踏み入れれるのもどうかなと思って行くのを迷うこともあるんですが、それでもやっぱり行くと「見ればわかる」ということが沢山あるんです。足の皮疹だとか顔のむくみ具合だとか、ちょっと言葉があれかもしれないですけど、死相とか・・・亡くなりそうかな、大丈夫かなっていうのか。あとどれぐらい治療しなきゃいけないのか、とか。患者さんの治療がそれ(診に行くこと)で変わってくるので、そういうのが肌で感じて見て触って・・・時には匂いっていうのもあります。そうしたまさに、「事件は現場で起きているんだ」っていうのを当時は教えていたんじゃないかなと思います。
陶:本当に「とにかく診に行け」って言われていました。でも「疲れてる」っていうことが無意識に足を重くする影響というのは結構馬鹿にできなくて。例えば看護師さんが測ってくれた体温や、脈拍、血圧というような情報がカルテに記載してあると、妙に考えてそれだけで答えを出したくなってしまうんですよ。新人研修医時代に近先生に「データ的にこうなんじゃないですか?」って言ったら、「お前見に行ったか?!患者さんのところ行ったのか!?」と言われました。「データと体温とかだけを見てやってない?」「お前、そこから動いてなかったよね?」って。「お前、何を見て俺にものを言ってるんだ!」みたいな・・・
近:それ、思い出した(笑)
陶:でも、その時、本当にその通りだよなって思って。
山:そうなんですね。以前の放送でも、陶子先生は「患者さんと会う・患者さんに触れる」っていうことを、今はコロナ禍で難しいですけれども、それはすごく大事にしてるっていうお話をされていたんですけれども、それはまさに近先生からの教えだったということなんですね。
陶:今こうして話していて、最近は全然患者さんのところに行けていないじゃないか!と反省中です。
近:コロナの診療に関しても、「熱が出ている」「コロナだから、うちは発熱外来じゃないから来ないでくれ」っていう先生もいらっしゃるけれども、やっぱり診なきゃ分かんないってね。診てみたら、実は扁桃腺炎だったとかっていうこともありますし。
陶:あとは、一見して、何も言葉も交わしてないけれども「あ、まずい!」というのありますよね。
近:そうですね。
陶:診なきゃわかんないですよね。
近:うん。
山:新人研修医の期間があって、陶子先生が開業されてからも近先生とは深いお付き合いがこうしてあるということですね。
陶:そうですね。近先生とは、新人研修時代に「お医者さんとしての在り方」を私にたくさん教えてくれたというところからのスタートですけれども、だんだん年を重ねていって、立場が変わっていったときにでもやっぱり私の先生だなと思うことは多いです。時々忘れた頃に突然の電話をくれるんですよ。「調子どう?」みたいな感じで。雑談のなかでも「君の今は、こういうことが求められてる立場のはずだよ」って示唆をくれるんですね。「どう考え、どう行動してるんだい?」っていうことを、また厳しく教えてくれるんですね。
山:なんか、お2人の間に歴史ありという感じですね。
陶:でもね、私だけじゃなくて、近先生はたくさんの後輩医師たちの指導をしていますでしょう。H・N・メディックにいま在籍している近藤先生も。
近:近藤先生は面白いですよね。第二内科に入ってくれたのも本当に嬉しかったですし。
山:じゃあ、陶子先生も含めて周りの方々の兄貴分というか、お兄さんみたいな存在っていう一面もあるんですね、近先生は。
陶:そう。でも、今は札幌市の中枢の方でお仕事なさっていて。
近:そうですね。今はまたその分野で修業中です。まさに研修医時代の陶子先生みたいな状況で、頑張っているような感じなので。今こうして、陶子先生の話を聞いて、思い出して頑張ろうって思いました。
陶:こうして「お医者さんが成長していく過程」をしっかり自分の肌身で感じている近先生のような方が、医師会の中枢の方で現場を見据えた方向を示してくれるっていうのは、巡り巡ってたくさんの患者さんにとってのメリットになるんじゃないかなって思います。言葉が届く存在というか。だから、私、今でも近先生には言いたい放題意見しています(笑)
山:あっという間にお時間が来てしまいましたので、続きはまた来週、近先生にお話ししていただくことにいたしましょう。今日は、さっぽろ内科・リウマチ膠原病クリニックの院長・近祐次郎先生に「医師の新人、研修医の教育について」お話しいただきました。近先生、どうもありがとうございました。
近:ありがとうございした。
陶:ありがとうございました。
近:おはようございます。
陶・山:よろしくお願いいたします。
山:近 祐次郎先生は、私が医師として勤務をはじめた最初の4月・5月から、マンツーマンで付いて教えてくださっていた大先輩・・・私の先生です。今は札幌市医師会の理事という大命を帯びていらっしゃいますけれども、当時は近先生が大学院1年生、私は研修医1年生という関係性で仕事を始めたと記憶しています
近:ああ、そういうことだったんですねえ(笑)
陶:忘れちゃってました?(笑)
近:あのときは私は大学院の1年目だったんですね。長い時を経て、やっと陶子先生のラジオに来れました。
陶:ずっと近先生をお呼びしたいなと思っていました。
山:先生仰ってましたもんね。
陶:コロナ禍の影響もあって、なかなか実現できませんでしたけれども、今日はたっぷりお話しいただこうと思います。
山:私も、陶子先生の新人時代の素顔を覗かせていただけるということで、とても楽しみにしていました。ということできょうはさっぽろ内科・リウマチ膠原病クリニックの院長、近祐次郎先生をお招きしてお送りいたします。それでは近先生、今日のテーマは?
近:「新人研修医時代の陶子先生」というお話です。
山:「新人研修医時代の陶子先生」…どんなだったんでしょうか(笑)
陶:まあ、今日は「医師の新人である、研修医の一般的なお話」という観点でご理解いただければと思います!今は「研修医制度」といって「最初の2年間は研修医をする」ルールがあるんですけれども、私の世代ではぎりぎり研修医勤めが義務ではなかったんですね。とはいえ、義務ではないながらも積極的に研修医になって勉強するというコースは比較的メジャーで、私もそういう意味で自ら希望して研修医になりました。今と違うことといえば、私の時代には、研修医になる前に自分の専門分野を決めてからスタートするという格好だったことでしょうか。私は最初、リウマチ・膠原病の分野を専門に決めて、北海道大学の第二内科という医局に入局しました。その専門分野、リウマチ膠原病の研修を、半年だったかな・・・?近先生のもとで積んだんですよね。近先生が、もう本当にいろはの「い」である各種検査のデータの読み方から何からを教えてくださったのですが、いち研修医の主観としては「いきなり全部をたたき込まれた」っていう感じです(笑)。
山:あぁ、そうだったんですね。本当に「はじめの一歩」だったんですね。近先生、陶子先生の第一印象はどうだったんでしょうか?
近:陶子先生が来たときは「ツッパリが来た」ていう感じでした(笑)
山:ツッパリ!(笑)
近:「ツッパリが斜めから見てやって来たな」という感じでした。でも、お話しすると、ラジオを聴いている人たちは皆さんわかっているかもしれないですけど、「超」女子で、面白くて。そして真面目で一生懸命だなと思いました。
山:尖っていたんですね、陶子先生。
陶:そんなことないですから!(笑)
山:でも中身は、今と変わらないんですね。
近:そうですね。中身は本当に真面目で、一生懸命で。僕は、その当時はですね、臨床業務を第一線でやっていることを自負していました。大学院の上級の先生方には研究活動に専念してほしいという思いもあって、「病棟を全部自分で見るんだ!」と意気込んでいた時期でもありましたし、そんな中に陶子先生が研修医として来たわけで、「使える奴が来たって」感じで。色々任せられるかなと思いました。
陶:そんなことを思って下さっていたんですか。私の観点からは、近先生は、めちゃくちゃおっかなかったですけれど・・・
山:そうなんですか?
陶:はい。でも、私が今でもよく覚えている当時の近先生の言葉としては「おかしいと思うことがあれば全部言え。相手がどんなに偉くても、お前が正しいと思うんなら言えるはずだ。逆にそれくらい正しいと思うことじゃなきゃ口に出すな。」というものでした。とっても納得したのと、私素直なので、本当にそうしたんですよね(笑)。今考えるとそれって「ものの喩え」で、本当にそうしろってことじゃなかったのかも…って冷や汗ものなんですけど(笑)。ただ、この先生だったら私信じて突っ走っていいんだなっていう頼もしさがありましたよ。
近:(笑)スポーツとか勉強とか、全部に言えることだと思いますけれど、「師が自分の考えの基本をまず弟子に叩き込んで、そして弟子はそのあとにその基本を自分自身の力で崩していく」っていうのが重要だと僕は思っていまして。医療は先人の経験で成り立っているという基本線が存在するんですけれども、新人は成長の過程でそれを崩していくものだと今も思っています。それともう1つは、新人の陶子先生が少しでも疑問だと思ったことに答えられない上司(自分ですね)、そういうのはダメだって思って、それは自分なりに気をつけていましたね。大きく分けて2つ、そういうことが大事だと思って指導していました。
陶:そうなんですよ。「お前の疑問に答えられないような奴には、戦って、向かっていけ」みたいなことを言われて。本当にそのとおりにしてしまいましたよね…
近:でも、それが結果として良い治療に結び付けばよかったし、そういう意味ではすごく上手にまとめたんじゃないかなと思いますね。陶子先生は、それでも頑固でしたけれども(笑)、一方でちゃんと「あ、そっか」って直せるとこもあったし、逆に変に譲らずに「それは違うんじゃないか」って反論することも、上手にやってたんじゃないかと。大変良い研修医生活をしてたんじゃないかなって今では思います。
山:具体的に何か覚えていらっしゃることはありますか?
近:膠原病全般の現場だけじゃないと思いますが、「百聞は一見に如かず」というか「患者さんを見れば1発で分かる」という場合が臨床現場でも時にあるんですね。そういった意味で、「考えるよりもとにかく患者さんを診にいったほうがいいよ!」っていうのを新人には強調して教えていたかと思いますね。入院病棟だと、自分たち研修医の今居る場所から1分もしないところに患者さんは常にいるんだけれど、なかなかそこに行くのをね、疲れたりして行きづらい時もあるはずなんです。それでも、行くんですね。「行こう」って声をかけるようにしていました。
陶:よく連れていかれましたし、本当に勉強になりました。逆に、その教えをおろそかにした結果痛い目をみて大いに反省することもありました。
近:今もほかの病院のICUなどに相談を受けると訪問することがあるんですが、相談をくださる先生方のお手紙の内容が素晴らしいので、カルテを見れば大体予想できて診断できてしまうことも多いんです。コロナ禍だし、なかなか実際にICUに足を踏み入れれるのもどうかなと思って行くのを迷うこともあるんですが、それでもやっぱり行くと「見ればわかる」ということが沢山あるんです。足の皮疹だとか顔のむくみ具合だとか、ちょっと言葉があれかもしれないですけど、死相とか・・・亡くなりそうかな、大丈夫かなっていうのか。あとどれぐらい治療しなきゃいけないのか、とか。患者さんの治療がそれ(診に行くこと)で変わってくるので、そういうのが肌で感じて見て触って・・・時には匂いっていうのもあります。そうしたまさに、「事件は現場で起きているんだ」っていうのを当時は教えていたんじゃないかなと思います。
陶:本当に「とにかく診に行け」って言われていました。でも「疲れてる」っていうことが無意識に足を重くする影響というのは結構馬鹿にできなくて。例えば看護師さんが測ってくれた体温や、脈拍、血圧というような情報がカルテに記載してあると、妙に考えてそれだけで答えを出したくなってしまうんですよ。新人研修医時代に近先生に「データ的にこうなんじゃないですか?」って言ったら、「お前見に行ったか?!患者さんのところ行ったのか!?」と言われました。「データと体温とかだけを見てやってない?」「お前、そこから動いてなかったよね?」って。「お前、何を見て俺にものを言ってるんだ!」みたいな・・・
近:それ、思い出した(笑)
陶:でも、その時、本当にその通りだよなって思って。
山:そうなんですね。以前の放送でも、陶子先生は「患者さんと会う・患者さんに触れる」っていうことを、今はコロナ禍で難しいですけれども、それはすごく大事にしてるっていうお話をされていたんですけれども、それはまさに近先生からの教えだったということなんですね。
陶:今こうして話していて、最近は全然患者さんのところに行けていないじゃないか!と反省中です。
近:コロナの診療に関しても、「熱が出ている」「コロナだから、うちは発熱外来じゃないから来ないでくれ」っていう先生もいらっしゃるけれども、やっぱり診なきゃ分かんないってね。診てみたら、実は扁桃腺炎だったとかっていうこともありますし。
陶:あとは、一見して、何も言葉も交わしてないけれども「あ、まずい!」というのありますよね。
近:そうですね。
陶:診なきゃわかんないですよね。
近:うん。
山:新人研修医の期間があって、陶子先生が開業されてからも近先生とは深いお付き合いがこうしてあるということですね。
陶:そうですね。近先生とは、新人研修時代に「お医者さんとしての在り方」を私にたくさん教えてくれたというところからのスタートですけれども、だんだん年を重ねていって、立場が変わっていったときにでもやっぱり私の先生だなと思うことは多いです。時々忘れた頃に突然の電話をくれるんですよ。「調子どう?」みたいな感じで。雑談のなかでも「君の今は、こういうことが求められてる立場のはずだよ」って示唆をくれるんですね。「どう考え、どう行動してるんだい?」っていうことを、また厳しく教えてくれるんですね。
山:なんか、お2人の間に歴史ありという感じですね。
陶:でもね、私だけじゃなくて、近先生はたくさんの後輩医師たちの指導をしていますでしょう。H・N・メディックにいま在籍している近藤先生も。
近:近藤先生は面白いですよね。第二内科に入ってくれたのも本当に嬉しかったですし。
山:じゃあ、陶子先生も含めて周りの方々の兄貴分というか、お兄さんみたいな存在っていう一面もあるんですね、近先生は。
陶:そう。でも、今は札幌市の中枢の方でお仕事なさっていて。
近:そうですね。今はまたその分野で修業中です。まさに研修医時代の陶子先生みたいな状況で、頑張っているような感じなので。今こうして、陶子先生の話を聞いて、思い出して頑張ろうって思いました。
陶:こうして「お医者さんが成長していく過程」をしっかり自分の肌身で感じている近先生のような方が、医師会の中枢の方で現場を見据えた方向を示してくれるっていうのは、巡り巡ってたくさんの患者さんにとってのメリットになるんじゃないかなって思います。言葉が届く存在というか。だから、私、今でも近先生には言いたい放題意見しています(笑)
山:あっという間にお時間が来てしまいましたので、続きはまた来週、近先生にお話ししていただくことにいたしましょう。今日は、さっぽろ内科・リウマチ膠原病クリニックの院長・近祐次郎先生に「医師の新人、研修医の教育について」お話しいただきました。近先生、どうもありがとうございました。
近:ありがとうございした。
陶:ありがとうございました。