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【命を守る】東日本と能登から見えた教訓 道内の備えは

東北の被災地にはいまも深い傷跡が残るなかで、ことし1月には石川県能登半島で大きな地震が発生。

この2つの大災害で、ある共通の問題が改めて浮き彫りとなりました。

北海道内の移住者が語る、その問題と教訓とは?

(長尾英次さん)「黄色い乳清ホエーを抜く作業をしているところ」

東日本大震災をきっかけに宮城県から旭川市に移住した、チーズ職人の長尾英次さんです。

道産の牛乳を使用して、モッツァレラチーズやケーキなどおよそ10種類の自家製商品を販売しています。

今はこの地にすっかりなじみ、常連客も多く訪れます。

(常連客)「住んでいるのがすぐ隣で、ケーキが美味しくてうちの職員も大好きなものですからときどき」

旭川出身の妻・絵里子さんと二人三脚で店を切り盛りする長尾さん。

13年前の記憶が蘇ります。

長尾さんのふるさと宮城県は、東日本大震災で甚大な被害が出ました。

あの日、長尾さんは宮城県南部・蔵王町にあるチーズを製造する職場で、震度6強の地震に見舞われました。

隣の大河原町にある自宅は、水道をはじめライフラインが破壊される被害に遭いました。

(長尾英次さん)「かなりの揺れだったので、多分電気も水道もやばいんだろうなと思いながら家を見に行きました。電気・水がストップして、電気はしょうがないとしても水道がやっぱり生活に関わる部分で、家の周りの住宅地は皆さん本当に水で苦労していました」

当時、宮城県内では各地で断水が長期化しました。

地震発生から3か月近くが経っても、川の水で服を洗う人の姿が見られました。

(長尾英次さん)「水は本当にありとあらゆるところで必要ですよね」

長尾さんは自らの被災体験を、ことし1月に起きた能登半島地震と重ね合わせています。

(長尾英次さん)「ほかの災害を見ていて思ったんですけど、3.11であれだけの経験をしていても、トイレも当然水洗だし、被災者はまた水も電気もないところに避難して待たなくちゃいけないのか」

東日本大震災では多くの人が故郷を離れて道内に移住し、再出発を図ってきました。

伊達市に住む小野彰吾さんもその一人です。

宮城県亘理町でイチゴ農家を営んでいました。

イチゴの生産が盛んだった亘理町は、津波によって壊滅的な被害をうけました。

小野さんの畑や自宅も津波によって流されてしまったのです。

その後、伊達市に移住して再起を図り、いまでは甘くて評判の高いイチゴを生産しています。

(小野彰吾さん)「正直規模が大きすぎたので現実味がないというか…」

小野さんは震災後、長い避難生活を余儀なくされ、なかなか届かない物資の問題に悩まされたといいます。

そして、能登半島地震で同じ問題が起きていることに心を痛めています。

(小野彰吾さん)「道がどうしても地震で崩れたら車で行けないし、海の方も隆起して船が横づけできないという面では物資を運ぶのは難しいのかな」

「水」と「物資の輸送」の問題は、東日本大震災と能登半島地震で共通する問題として改めて浮き彫りになっています。

今後、大地震と大津波の発生が予想される道内では、対策は進められているのでしょうか。

(根本記者)「釧路市内の小学校にやってきました。足下を見てみますと何やら“災害用トイレ”と書かれています」

断水によって、トイレ問題が被災者を悩ませてきました。

この問題を解決しようと、災害時に避難所となる道内の施設では、下水管と直結しているマンホールトイレの設置が徐々に増えています。

これだけでも和式トイレとして使うことは可能ですが、さらに骨組みとシートを組み立てると…

(根本記者)「仮設のマンホールトイレができました。中に入ってみると、両腕をひろげても届かないぐらい広い空間となっています。そして中には洋式の便座が置かれていて、しかも隣にはトイレットペーパーまで備え付けられています」

(釧路市防災危機管理課 北本将也主事)「能登半島地震で問題になっている水の問題、トイレの問題も出てきているので、釧路市としてもそういう課題を踏まえて(備えを)見直していきたい」

一方、物資の輸送は命にかかわる切実な問題です。

道東の浜中町は、災害時に交通が遮断され孤立が懸念されていて、対策が進めらています。

(根本記者)「浜中町役場へ陸路で向かうには、向こうに見える赤い橋かこの霧多布大橋の2つしか方法はありません。そうした中で大規模災害時に、役場機能をどのようにして維持するのかが課題となっています」

役場が島のなかにある浜中町。

霧多布地区には港もありますが、重機や緊急車両などを乗せたフェリーが着岸できるほどの広さも深さもないといいます。

さらに、2つの橋が寸断された場合“孤島”となってしまいます。

物資を運ぶには、搭載量が限られたヘリコプターに頼らざるを得ないのが現状です。

この状況に町民は不安を感じています。

(浜中町民)「橋2本が全滅してしまったら何もないですからね。自分の本心を言うと茶内(内陸側)の方に引っ越したい」

このため浜中町では物資の不足を想定し、多めの備蓄を進めています。

例えば水は…

(浜中町防災対策室 串田之宣係長)「地下にタンクがありまして、780トンの水が貯蔵されています。避難者の7日分の水が蓄えてあります」

そのほかにも入浴施設を役場の隣に設置し、高台の上だけで長期間暮らしていける環境を作っています。

避難生活が長期化する場合の対応について、町は模索を続けています。

(浜中町防災対策室 春日良太室長)「何か月も対応できるくらいの数を確保しているかというとそこは難しい問題。備蓄品もやはり財政的な問題もあるので、何日分の備蓄品をどれだけ確保するかということは今後の課題」

専門家は、別の地域で起きた災害を、行政も個人も自分ごととして捉え、防災につなげてほしいと話します。

(北大地震火山研究観測センター 高橋浩晃教授)「北海道はどこでも地震が起こる可能性がある。今回の能登地震と同じような被害を受けて、それで大変な生活になる可能性はあるということなので、ほかのところでこういうことが問題になったので、自分の家ではこういう対策をしようということを考えるきっかけにしてほしい」

東日本大震災から13年。

その教訓をどう生かしていくのか。

災害がいつ起こるかわからない中で、対策と見直しが急がれています。
「STVニュース」  3/26(火)14:35更新